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NPO法人 COCO湘南 理事長

現在COCO湘南台の
生活者でもありコーディネーター。


1928年長崎県生まれ。神奈川県立藤沢高校教諭をへて藤沢市議会議員6期24年を務める。知的障害(児)者の親たちとともに藤沢に福祉の輪を広げ、社会福祉法人藤沢育成会へ。

著書
『福祉の食卓掘殞垢乏悗咫⇔垢僕靴屐
みづき書房、1999年

『10人10色の虹のマーチ 高齢者グループリビング〔COCO湘南台〕』、2000年

 神奈川県に暮らして半世紀以上。この間、政治・経済はめまぐるしく、日本中の街々の生活様式も駆け足で変化していったが、とりわけ取り残されていくのは障害(児)者の通学や仕事、暮らしの場であった。
 私自身、二十歳のときに病気がもとで右足関節の機能を失い障害者の仲間に入ってからは、仲間のあらゆる障害(児)者のことが気になっていた。四十二歳で藤沢市議会議員になってから引退するまでの二十四年間、そして現在にいたるまでのべ三十年以上、「どのような障害があろうとも、当たり前に生涯を生きる」目標に向かって、障害(児)者と家族の皆さんとともに活動する道を歩いている。
 ちょうど議員になった頃から、福祉先進国の情報が少しずつ届き始め、百聞は一見にしかずと海外に学習に行くようになった。
訪ねた二十ヶ国のうち十一カ国では、主に障害者と高齢者が当たり前にごく普通に生きて地域社会と交流していく具体的な生活と出逢い、学びとることができた。
 四十代の私には、ドイツ、フランス、イタリアなどの活力に満ちあふれる高齢者と、日本の高齢者とがあまりに違う、髪の色や眼の色ではない、どこかが違う、とまだそのときは漠然とだったが、日本と海外の高齢者のシルエットから若い人を導くやさしいまなざしと雰囲気の違いが心に焼き付いた。
 しっかりと自分自身の意見をもって行動している人々と、周囲に気を遣って暮らす弱々しい日本の高齢者。この差は何なのか、ずっと心に引っかかっていて離れなかった。

 そんな私も六十歳を過ぎ、それじゃあ私はどういう「老後」の暮らしを求めているのかを考え始めた。さしあたって、なけなしの資金と年金と頭脳とを精一杯さらけ出した、わがままな暮らしに着目した。
 六十五歳、もう待つわけにはいかないし、まわりや後ろを見ると高齢者予備軍がいっぱい。そこで決断した。
 誰かしてくれと待つのはやめた!
 考えてばかりいるより、学習会で高齢者自らが生涯学習をして、社会貢献もしながらはつらつと生きよう。自分が望む暮らしをつくればいいんだ!もっと元気印に楽しく生きられるものを自分たちの手で開発しよう!元気印にいばって、わがままに生きよう、自由にはばたこう!自由時間がいっぱい使えるではないか。
 そう考えたらワクワクしてきた。今までだって、たくさんの仲間たちと作業所を作ったり、グループホームや通所施設を作ってきたではないか。よし、今度も自分一人ではとても手に負える話ではないので、みんなに声をかけてみよう!
 バリアフリー高齢者グループリビングは、そんな元気印のかけ声からはじまったのである。
高齢期を、元気印に自由にわが思うままに老いて、その上で納得して終わりたい。こんな計算は夢のまた夢ではないかと思う人は多い。しかしだからといって、誰かがしてくれるのをまっていても先は見えるわけではない。巷の話題は、「呆けたらどうするの、寝たきりになったら」と不安と不満と疲れが充満している。ならば私たち市民の手で開発していこう、きっと望んでいる暮らしに近づけるに違いないと考え、1996年5月、高齢者の尊厳と安らぎのある暮らしに着目した。




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